5年経った、今日に寄せて…

5年前、案件の打ち合わせで行った県内遠くの客先のビルでその時間を過ごしていました。意味不明な船酔いのような気持ち悪さが体を襲う中、打ち合わせを続けていたのですが、周りでは、状況確認とヘルメットかぶって出かける人、副社長が(新幹線が止まって)帰ってこれないという声、目先の事だけが流れていく時間でした。

しかし、名古屋の事務所に戻り、色々な情報が集まり、そして土曜、日曜と、テレビから届く惨状を観て、なんとも言えない思いに浸っていたと覚えてます。

何ができるのかと思い悩みながら、義援金を送る。

その後2年、義援金じゃ無い、頑張る人を応援するんだと旅に出たGW。

ほとんど関係無いのに風評に振り回される猪苗代のワイナリー。

あの時のことを強く語ってくれ、出立の朝、ラジオ付けて旅しなさいよと何度も言ってくれてた東松島の宿の婆ちゃん。

復旧復興のおかしな現実を全てがなくなった海辺を前に教えてくれた小泉の先生。

名古屋の人に助けられたんだよと語ってくれた葡萄園の人。

そして、あの防災庁舎や一本松や復興商店街の姿。

光と陰を本当に学ばせてもらいました。
5年経ちました。

オリンピックって必要だったのか?国立競技場って必要だったのか?

なんか、トウキョウの人達にその他多くの日本国民は振り回されてるんだなと思わずにはいられません。

さて、今の自分に何ができるんだろうと改めて思います。

次来るかもしれない災害への対策はもちろんですが、東北のことを1日でも早く過去のことにするために、何をしたらいいのだろうか、そんな答の無い、堂々巡りな思いに浸る、それがこの日なのであります。

政治的に色々問題なのです。

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